si-sounds 1st Album「nostalgia」感想 [追記]

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この記事はsi-sounds 1st Album「nostalgia」感想の追記編だ.まだお読みでないかたがいれば読んでいただけるとよりわかりやすいと思う.
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nostalgiaを聞いてから感じる世界までもが変わった,と言っても過言ではない.

“歌モノ至上主義”の誤解

かつて私は歌モノ至上主義だった,と以前の記事に書いた.その理由は,幼少期から音楽のよろこびを自分が歌うことで感じていたというところが大きいと考えていたのだが,少々違っていたようだ.

小さい頃から外国語が苦手だ.話せないとか読めないとかではなく(むしろ塾で中高校生に英語の文法を教えているし,大学の第二外国語のドイツ語は好きで秀の評価をもらった),私が怖いのは,母語以外の言語が「耳に入ってくる」ことだ.NHKの教育テレビで流れている「無言語番組」(私はキャラクターが”実在しない言語”を話している番組をそう呼んでいる)もトラウマだ.こどもちゃれんじ(しまじろう)を受講していたときも,隔月でついてくるビデオテープの英語教育部分はお父さんが編集してカットしてくれていたぐらいである.

だから洋楽やK-popは苦手だ.英語ならまだ意味がわかるから落ち着いて聞いていられるけど,それ以外はからきしだめだ.

インストも同じだったのではないだろうか.私は「歌モノ至上主義」なのではなくて,ただ「インストが怖かった」だけなのではないだろうか.

自分のことばで音を語る

楽器はことばを話さない.ピアノを習っていた時,クラシックはどうにもいやで先生に指示されたもの以外はポップスしか弾かなかった.今はコードを弾いて弾き語りしているからもはや伴奏用の楽器だ.インストはことばがなくて,母語が聞こえなくて,自分の拠り所がわからなくなる.取り残された気持ちになる.

だけど,nostalgiaを聞いたとき,私の中には明確に「自分のことばにできる」感想が生まれた.ただメロディが綺麗だとか,音がかっこいいとか,そういう表面上のことではなくて,前の記事で書いたように,「こんな情景が頭の中に見える.それはたぶんこんな音からこんなことが連想されたからだ」というようなことだ.

私はことばそのものに対して以外にも,ことばで語り得る

という発見は,「インストが怖い」から私を遠く引き離してくれた.nostalgiaはもちろん何度も聞いた.今まで聞かなかった音見鶏(自分の所属するサークル)の仲間のインスト曲も怖気付かず聞けるようになった.

自分のことばを媒介にして,メロディに触れる.音に,ロングトーン,リズムに触れる.今までとは違うよろこびだった.うれしい.無意味に感じていた世の中の雑音でさえ前より随分平気になった.

これが,1人のクリエイターが明確な意図を持って形成したnostalgiaというたった1枚のアルバムが私にもたらした変化だ.

表題曲「nostalgia」はなぜ森なのか

ところで,追記したかったいちばんの話題はここである.

私はnostalgiaを知人に強く薦めて,カフェでいっしょに表題曲,アルバムでは4曲目の「nostalgia」を聞いていた.そのとき「どうしてこの曲は森の風景を連想させるのか」ということになり,音をじっくり聞きながら考えることにした.

この曲は,8分の6拍子の曲で,ゆらゆらと揺られているような心地よいリズムに,ピアノとストリングスが交代にメロディとして現れる.伴奏のメインはストリングスのロングトーンだ.

ストリングスをはじめとする弦楽器は,立ち上がり(アタック)は少し遅いが,音が鳴りはじめると同じ音量で弦を離すまでなり続ける.DTMをしているかたはADSRの海苔形を思い浮かべてほしい.ざっくり言うと,ストリングスはベターっとした発音が得意だということ.それが「低い位置に広がる同質のもの」を想像させる.

次に大切なのがさりげなく加えられたピチカートだ.こちらも弦だが,鳴らしかたが普通と違う.普通は弦を当ててそれを横に動かしてくが,ピチカートは弦をはじいて鳴らす.発音は短く,残響は空間の高いところで響くから,「狭い範囲で縦に開けた空間」を見せてくれる.

低い位置に広がる同質のもの」と「狭い範囲で縦に開けた空間」が合わさると,「低い位置に広がる同質のもの」が樹海,「狭い範囲で縦に開けた空間」が真上を見上げたときに差し込む木漏れ日のような役割を果たす.これがこの曲「nostalgia」から連想させる風景の正体だ.

余談だが,私が2曲目「forest」を初めて聞いたとき港や海の情景と勘違いしていたのは,「低い位置に広がる同質のもの」を海水だととらえていたからだということもわかった.

「nostalgia」のもうひとつのメロディであるピアノはそれに比べて打弦楽器で,立ち上がりが早いけど鳴っている時間(ディケイ)も短い.よって音の鳴っている範囲が狭く,かつ明瞭な話し声のような印象がある.これがアルバム全体のコンセプトの「終わった世界」=「過去人間がいたという予感」に繋がる.

インストにしかできないこと,歌モノにしかできないこと

私とsiくんはM3を通して出会い,物理的に距離はあるけれど友達になった.それで「はたち+1コンピ」という私が企画していた同年代コンピに誘って曲を提供してもらったのだが,そのときに出してくれた「Departure」という曲が私は大層気に入った.明確に何かはわからなかったけど,siくんの書きたい世界が見えた気がして,もう少し手を伸ばしてみたくなった.それでnostalgiaを買った.

nostalgiaの感想の記事を書いたときは初見(初聞)での感想だったから,あとから気づいたことがたくさんあって,siくんに上述のようなLINEを何度もして,その度に私たちはインストと歌モノの違いについて何度も話した.

最初に私たちがお互いが驚いたことは,明らかに「インストにしかできないこと」「歌モノにしかできないこと」があることの発見だった.「しかできない」と言うと大袈裟だしそうじゃないのもあるかもしれないけれど,少なくとも手の届く範囲ではたぶんそうだ.

私がnostalgiaを何度も聞いていちばん感じたことは「風景を想起させる力」だった.もちろん受け取り手によって異なるイメージがあるだろうけれど,聞く度に同じ風景が頭に浮かぶ.その中に立っているようにさえ感じる.

インスト曲は,受け手によって別の,しかし再現可能なイメージを曲ごとに結びつける.

想起のちから.イデアに頼り,感覚的な曖昧な想いを乗せること,これはインストならではなのではないだろうか.歌モノはことばのちからが強すぎて,やろうと思っても厳しい.雪と言えば雪が浮かぶし夏と言えば青空を連れてくる.たぶん,「forest」もタイトルを見てから聞いていたら海なんて思い浮かばなかったと思う.タイトルのそのただ1語だけでも,それだけ強いちからがある.

ところがそれを言おうとしたら先にsiくんからは「強烈な共感であったりとか、そういうのは歌詞のちからがやっぱり強いなってのは思う」ときた.

目からウロコとかそういう領域ではなく,私は目から涙がこぼれてしまいそうだった.楽器の音で作った風景,雰囲気の上に,実像を描くのがことばだとしたら.それは本当に歌にしかできないことだ.

歌モノは,作り手のイメージを,意図的に受け手に風景メロディと共に伝える.

共感のちから.具体的な,雰囲気や感覚ではない定まったイメージを伝えるのはことばにしかできない.モーツァルトやバッハのインストゥルメンタルの音楽を聞いて「いや〜バッハさんめっちゃわかりますわその気持ち〜!」とはあんまりならない.インストで「寂しげだ」とか「儚げだ」という感覚,音を聞いて悲しいな,寂しいな,とは伝わるけれどそれはその場で作り上げた実感なのではないだろうか.「こういうとき悲しかったんだ/悲しいよね」というのは歌モノにしかできない.

お互い,別のものを作っているからこそ,インスト,歌モノ,それぞれのよさに気がつく.これは彼と一緒でなくてはできないことだった.

さいごに

nostalgiaはプロの作ったアルバムではない.耳の肥えたひとが聞けば足りないところがあるかもしれない.しかし,断言できることは,このアルバムが本当に細やかに気を配ってつくられていることだ.無駄なエフェクトはない.メロディの繰り返しひとつ,ただのコピーアンドペイストでできているわけではない,すべてに意味を持たせている.入ってくる音のひとつひとつが生きている.心をこめて作られたこのアルバムが,きっとあなたにも響くと思う.

5曲目「to the end」はyoutubeでフル公開されている.

アルバムはこちらで通販されているので気になったかたは私を信じて是非聞いてみてほしい.

なお,少し先にはなるが,6月9日の土曜日にsiくんと私とでDTMや作曲について語るツイキャスをする予定なので,時間があえばぜひ.

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