なべとびすこ歌集『ふるさとと呼ぶには騒がしすぎる』感想

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ある日家のポストを覗くと一通のスマートレターが届いていた.年金機構でもAmazonでもない私宛の手紙は珍しい.

差出人はなべとびすこさん.この春,文学フリマ東京にて発行した初めての歌集『ふるさとと呼ぶには騒がしすぎる』を送ってくれたのであった.

なべとびすこさんは自称「ハイパーマルチメディアタンカラー」である.平たく言うと短歌に絡めたことならなんでもする人だ.巷ではイベンターとしても話題である.ゆとり世代×短歌企画「YUTRICK」の代表であり,かくいう私もゆとりど真ん中のタンカラーとして短歌活動初期からお世話になっている.

短歌に絡めて本当になんでもする.変なことばかりしているから普通の歌会にはわざわざ「普通の歌会」と題がつく.「いろんな意味で歌会」と称してカラオケをしながら短歌を作る会を催したり,「短歌カードゲーム ミソヒトサジ」という,5文字の言葉と7文字の言葉が書かれたカードを用いて遊ぶカードゲームを作ったり,短歌の普及のために日常使いできる短歌Tシャツやおしゃれ短歌グッズを作ったり(suzuriでこちらから買える).なべとさんの短歌愛,それから日常に短歌を持ち込むアイデアは底知れない.

連作「ふるさとと呼ぶには騒がしすぎる」

都会(というか工場地帯)に住む主体の息詰まった感覚を詠む連作.

自転車のタイヤを空気でパンパンにしてからずっと町が揺れてる

連作としても本としても一首目.「自転車のタイヤを空気でパンパンに」する行為は,メンテナンスとか,心機一転とか,だんだん空気が減ってきてお尻がぼこぼこするのが嫌だから,とか,いろいろ理由はあるだろうが,どちらにしろタイヤに力をみなぎらせていくような前向きな行為だと思う.しかし乗り心地は「町が揺れてる」,弾性がありすぎて逆に振動が伝わりやすいということなのだろうか.今まで(空気を補充する前)と後で,変わらない光景と思っていたいつもの町が変わって見えるのだ.

ふるさとと呼ぶには騒がしすぎる町 でもふるさとを他に知らない

連作最後の一首.「ふるさと」の言葉のイメージと実際の自分のふるさとのギャップという点では新しさはそんなにないかもしれないが,つづく企画コンテンツ「短歌×音楽 NoisyCity」の歌詞の出だしでもあることを加味すると非常に効果的な一首であると感じる.次の段落につづく.

短歌×音楽「NoisyCity」

この曲のレコーディングを手伝ったので歌集をプレゼントしてもらったという裏事情がある.私が普段使っているマイクなのに私の倍ぐらい音が拾われていて私の歌声とコンデンサーマイクの相性の悪さを思い知った(発声がアナログ向きなのだ).

それはともかく.この曲はなんとラップである.なべとさんは適当に単語を送りつけたら即韻を踏んで返してくれるラッパーだ.すごい.そしてこの歌詞の冒頭が先ほどの一首だ.

なべとさん曰く,ラップの世界というものは「こんな町で生まれ育った俺のライムを聞いてくれ」という感じらしい.だからみんなふるさとのことを歌うのだという.

なべとさんのふるさとは彼女が何度も繰り返すようにとても「日本のふるさと像」に近いとは言えない.それでもふるさとを歌うことで,そのふるさとで育った自分の今を表現しようとするのだ.

NoisyCity,またこの本のイメージソングは本がなくても作曲のgaze//he’s meさんのsoundcloudから聞くことができるので,たまたまこの記事を読んでいるDTMerがいたら短歌に興味が無くてもぜひ聞いてほしい(なんせヒズミさんは音楽で食べていっているのだ!).

連作「ペットボトルジェネレーション」

「恵まれている若者」の視点での連作.恵まれていると言っても,上から「恵まれているとされている」だけだから生きづらい思いは多かれ少なかれ抱えている世代である.

(苦しいと言っちゃいけない苦しいと言っちゃいけない)とても「    」

SNSの普及により,世界はどんどん小さくなった.小学生や中学生のときは教室の中と少ないtwitterのフォロワーとテレビの中だけが自分の世界だったけれど,今じゃtwitterでもガンガン知らない人が絡んでくるしちょっとしたことですぐバズるしいわゆるクソリプも飛び交っている.「死にたい」とかうっかり言ったものならすぐ「本当は本気で死にたいと思ってないくせに」「自分よりもっと辛い人がいるのに」「生きたいと思っても生きられない人に失礼ですよ!」なんて飛んでくる.一昔前のようにチャットとメールと掲示板しかなかったらこんなことにはなっていないのだろう.

戦争もバブル崩壊も経験していない,モノに溢れた「恵まれている」時代に生まれたことと,自分の感じる世界の冷たさのギャップがひしひしと伝わってくる一首.

結句の「    」があざとい.読み手はみんな心の中で自ら「くるしい」とつぶやくにちがいないし,そこで受動的であるはずの読み手を動かす(心の中で「くるしい」とつぶやかせる)工夫があるからこそ,この歌の共感性がより高まるのだ.

連作「ピースサインをして笑いなさい」

なんか自己啓発本みたいなタイトルだ.小学生,中学生ぐらいのときの馴染めなさ,孤独感を詠んだ連作.「教室の中がすべて」という年ごろは,友達がいないと終わりだ.

僕だけがうまくできないことばかり蝶々結びがすぐにほどける

えらい大げさな上の句だ.大人になればなるほど,自分より上はたくさんいるし,逆に自分よりよっぽどできないやつもたくさんいるとわかってくるけれど,幼い時の「僕だけがうまくできないことばかり」の絶望感は計り知れない.それが例えば漢字テストがボロボロだったとか,二重跳びができないとか,計算が遅いとかそういう通知表に反映されることではなくて,蝶々結びという日常のちょっとした綻びに焦点が当たるのが効いている.

「ふるさとと呼ぶには騒がしすぎる」で”これから語る自分という人間はこんな町で育った”というプロローグを置いて,「ペットボトルジェネレーション」で”同世代の叫び”を代弁し,「ピースサインをして笑いなさい」で”小さい頃からうまくやっていけなかった自分”を振り返る.続いての連作からは”社会人になってからの葛藤”,”大人になってもうまくやっていけない自分”について語られていく.

連作「こわれない」

「悲しい」はなるべく声に出しておき空気清浄機のエサにする

空気中のゴミを「空気清浄機のエサ」と見立てられることの発見の歌.また,「悲しい」という言霊にネガティブな要素=不純物が入っていることの形容がされている.

「悲しい」という気持ちを自分のなかにとどめて吸収してしまうと余計に悲しいし汚れてしまう,かと言って一人暮らしの部屋に聞いてくれる人もいない.だからせめて空気清浄機に処理してもらおう.主体の悲しさへのささやかな抵抗なのだ.

平坦な道を歩いてきたくせに疲れたなんて言ってごめんね

「(苦しいと言っちゃいけない …」の一首とつながりを感じる一首.不特定多数の「自分より恵まれていない層」への不必要な懺悔である.「くせに」「なんて」の言い回しで皮肉のようにも諦めのようにも感じる「ごめんね」だ.

連作「今、何問目?」

コンセントはとてもキレイな形して日本製ならどこでも入る

海外ではなんかよくわからないごちゃごちゃしたアダプタを携帯していかないと携帯を充電することもままならない.「コンセント」は正確には壁側の「挿す部分」の方だが,ここでは口語の「コンセント抜いといて」で用いられる「コンセント=プラグ」という認識でいいだろう.コンセントもプラグもぴったりとした幅,長さで作られている.というか,そうじゃないと困る.だけど,規格が統一されているから当然とはいえ自分ちでも友達の家でもオフィスでも学校でも同じ顔をして待っているのは考えてみるとちょっと怖い.不気味さをもってこの歌をもう一度読み返すと,「キレイな」が妙な響きを持って聞こえてくる.

100人が乗っても大丈夫な場所でちゃんと1/100ひゃくぶんのいちになりたい

もちろんイナバ物置である.100人乗っても大丈夫!のCMを作る時には,一時停止して本当に100人いるかどうかきっちり数えなくては気が済まない視聴者のためにしっかり100人数えながら撮影をしたにちがいない.電車,雑踏,社会で人がたくさん集まる場所ではどんどん「個人」は薄れていく.電車で隣に座った人,雑踏ですれ違った無数の人のことやその数を覚えていられる人はほぼいない.「有限であること」と「数えられること」の違いだ.

即興小説ゲーム なべとびすこVS横林大々

持ち時間2分30秒ずつで小説をリレーしていく企画.シビアだなー.

短歌では「即詠」という文化がある.俳句みたいに「ここで一句!」とまではいかないけど,その場で「今から歌会しようぜ!」と盛り上がった時なんかにはみんな15分ぐらいで提出してしまう.冒頭で触れた「いろんな意味で歌会」では,「他の人が歌っている間にその歌の歌詞に出てきた言葉を詠みこんで歌が終わるまでに完成させなければならない」という過酷ルールだったがこれも即詠遊びのひとつだ.

小説となると短歌の31文字よりよほど長いしストーリーや言い回しも考えながら作らないといけないからより難易度が高そうだ.

連作「散らばった糸」

なべとさんの歌には珍しくひとが出てくる.しかも主体が好意を持って接している相手だ.恋心とも友情とも読める.

適温は僕と君とで違うから中間点を探すはつ夏

はつ夏の甘酸っぱさ,パリッとした爽やかな天気と,ふたりの距離感.「適温」は直接的に手を繋いだ時の温度の差,なんて青春読みをしてもいいのだけれど,ここまで読んできた私の印象は「夏が嬉しい」一方と,「暑いのが苦手」な他方だった.テンションの差だ.そういう場合,たいてい温度差に気づくのはテンションが低いほうだからきっと主体は夏は好きじゃないのだろう(完全に妄想だけど).

ローマ字で「ふ」を「Fu」と打つような誠実さ あなたのお母さんにありがとう

わたしわたし私です.「ふ」を「Fu」と打つ誠実なしょーこです.ちょっと嬉しくなってしまった.

私たちゆとり世代は小学4年生でローマ字を習ったが今は3年生で勉強する.IT化と英語早期教育のためだろう.ローマ字表には丁寧にヘボン式が書いてある.覚えなくても生きていけるし,「Hu」と書いたってみんな「ふ」と読んでくれるし.覚えるのが面倒だし.あれを覚えるのは暇なひとか,PCが好きか,優等生かのいずれかだろう(私は4歳でローマ字を習得したからである).だから下の句は唐突に見えるが違って,そんな誠実なひとに育ててくれたことへの感謝が思わず溢れてしまったのだ.

ちなみに私は「し」を「Shi」と打ちます.「つ」は「Tu」ですが.

連作「ふさわしい陽光ひかり

結婚する先輩と自分のことを詠んだ連作.花嫁になった先輩を「あなた」と呼ぶところがなんともくすぐったく愛おしい感じがする.

ふさわしい陽光ひかりにあなたは包まれて1月なのに夏の青空

1月なのに夏の青空,という言い回しは何気ないようでなかなかすごい.ふさわしい,はもちろん結婚式にふさわしい,という意味だが,1月の寒々しい,暗いところを「あなた」のパワーを持って夏のようにまで感じさせるのだ.「包まれて」で,純白のドレスが光を受けてさらに輝き,しあわせそうに微笑む「あなた」が浮かびあがる.

連作「空に近づく」

これはユニバ吟行連作だ.吟行とは,「お出かけして短歌を詠む会」である.私も行く予定だったけれど某けものフレンズの某サーバルちゃんの某声優さんのトークショーが当たったため行くのをやめたやつだ.両方行きたかった.関西人はみんな大好きユニバーサルスタジオジャパン,15周年を迎えますます盛り上がり連日ハロウィンのような大騒ぎである.しかしその分待ち時間は長いから,その間に短歌を詠んでしまえばいいという目論見である.この連作では特に一番人気の乗り物「ハリウッド・ドリーム・ザ・ライド」について詠まれている.

性格は後ろ向きですが、コースターの方は前向きでお願いします。

説明不要だろう.なべとさんは大喜利系短歌もよく作る.でもただの大喜利じゃなくて,結局「性格が後ろ向き」なままハイテンションのジェットコースターに乗りに行く主体の薄暗さがあるから,短歌になるのだ.

連作「十三月がはじまっている」

じゅうそうではない.春夏秋冬を通した連作.13首連作なので1月から対応付けて読むのがよいと思ってそうした.

はい、いいえ。「はい」ばっかりの円グラフみたいな桜の花びらを踏む

4首目.桜の花びらが円グラフのように見えるという発見.賛成意見がたくさんあって,それは地面に落ちていて,徹底して天邪鬼な主体を貫くような「踏む」という行為.主体は「いいえ」に入れたのだろう.

余談だが桜は怖い.急に一気に咲き誇り出すし,それもこの一本の木だけでなく一帯の桜がいっぺんに咲き出すから,普段止まっているような速度で成長する植物というものも本当に生き物なのだとひしひし感じさせられて恐ろしい.

7首目がすごく好きなのだが評があんまり思いつかなかったので買って読んでください.

(追記)他の方が引用していたので載せます.

返歌「また海を見る」 なべとびすこ×宇野なずき

宇野なずきさんはYUTRICKの一員だ.去年の正月に受け取った年賀状をアップして大喜利アカウントでものすごいバズっていたときに,宇野なずきアカウントのほうで「なんで短歌がバズらないかな」とボヤいていたところ,今年「誰ひとり君の代わりはいないけど上位互換が出回っている」という短歌がそれ以上の大バズりを起こした今をときめくインターネット歌人である.しかしツイートしたのが本人でないあたりが宇野さんらしくて泣ける.

なお収録されている歌集『最初からやり直してください』の装丁はなべとさんが手がけている.歌集は大人気で私もまだ手に入れていない.宇野さんこの記事見たら連絡ください.歌会しましょう.サインください.

返歌とは,相手から受け取った歌から連想して歌を詠んで返すリレーのようなものだ.特に恋愛関係にある人同士の返歌は「相聞歌」と呼ばれて,和歌なんかではこれが多い.

「尼崎で後ろ4両切り離します。」そんなノリで終わる糸(なべとびすこ)

「あまがさきで/うしろよんりょう/きりはなし/ますそんなノリで/おわるいと」と読めば短歌のリズムっぽくはあるがかなり破調の6・7・5・8・5である.結句の5がいかにも切り離されて終わった,という感じが出ている.「糸」は特に名言されていないが「赤い糸」とか「運命の糸」というニュアンスだろう.

強風で遅れる電車 きっかけを針でつつけば弾けてしまう(宇野なずき)

返歌は「糸」に対して「針」を持ってきているところがうまい.「終わる」も「弾ける」と言い換えることで,張っていた糸がぷつんと弾性力をもって途切れる感じが出ている.「遅れる電車」と「針」の痛々しさ,「弾ける」の唐突な動きで人身事故も想起させ,不穏さもある.

ふたりとも長い付き合いだけあってキャッチボールというか,相手の言葉のすくい取り方がうまい.類似歌になりすぎず,文脈を保ちながら展開していくいい返歌だった.

この後に連作は7つ続く.ここまで紹介した連作は「自分 対 世界」「自分 対 他人」という構図が見えるがここからは少しずつ見える世界が広がる.ネガティブさ,薄暗さは拭われないが,「共感を求めて苦しむ歌」から「実感を詠む歌」になっていく.

最後は歌会の議事録がまるごと載ったコーナーだ.

短歌ど素人の会 again 有櫛由之,文車雨,かつらいす,なべとびすこ

短歌ど素人の会は,なべとさんが短歌というものを知ってすぐ後に短歌初心者だけで行われた歌会だ.その当時参加した8人でこの4人はまだ短歌を続けている.有櫛さんは愉快なおじさんでことばあそびが得意だ.特に回文を嗜んでいる.文車雨さんは妖怪が好きなお姉さん.絵もお上手だ.かつらいすさんはかわいいお姉さん.歌会中は控えめながらも鋭い読みで驚かせる.気になった読みを引用する.

この街は海がこんなに反射して五階のトイレの窓まで届く

雨さん:「この街は」って言う時点で、この人はここの出身じゃないんやっていうのはあるかなって。
なべとさん:えっ……?
かつさん:確かに自分がずっと住んでたら、そういう言い方はしないかも。
ねるたべるつながる場所を夜景と言うあなたの煙草に灯をともす

なべとさん:これ、わざわざ夜景って言うてるじゃないですか。ただ「夜景でっせ」っていう夜景と呼ぶんですよ、という説明じゃなくて、自分かあなたが「発言」してるというか。自分かあなたが言った後に、火をつけている。
有櫛さん:セリフとして言っている。
なべとさん:「夜景と呼ぶ」なら定義だと思うんですけど。
雨さん:あなたが言っていた「夜景」。
かつさん:「夜景と言うあなた」
なべとさん:ああ、「夜景と言うあなた」で切れるんですね。

歌会の面白いところは話してるうちに自分が考えていた読みが思わぬ方向に発展したり,人の言葉で急に思いついたりするところで,それが全部書き出されているので「こういう展開あるよね〜〜!」と思いながら読めた.しかも4人とも知っているので頭の中で4人が喋ってくれて余計に理解が深い.

歌会をしたことがない方もこれを読めば歌会の雰囲気がわかるよいレポートだ.

あとがき

ずっと自分には何らかの才能があると思ってきました。絵を描くのが楽しいと思えば漫画家になれると思ったし、文章を書くのが楽しいと思えば小説家になれると思ったし、本を好きになれば本屋になれると思った。思い始めた時は楽しくて、夢が叶ったあとのことを考えながら眠れるのが嬉しかった。でも、私はどれにもなれなかった。

きっとこう思っているのはなべとさんだけではなくて,世界中みんなが,そういう夢を見ながら,そういう夢に失望しながら,大人になったころには「将来の夢なんてかなわないよなあ」と思っている.子供の頃のゆるやかな希望を捨てきれないまま大人になって,現実と理想のギャップに苦しんだり,疎外感を感じたり,「なんとなくやっていけない感じ」から抜け出せずにいる.なべとさんの連作の根底は全部その気持ちが流れていて,大人になったらかっこつけて隠してしまう類の絶望感を,まるで子供の時の自分に「わかるよ」と大人の自分が寄り添ってあげるように短歌で語っていく.

この歌集はふるさとのことから始まる.「こんなふるさとに生まれたなべとびすこ」がこの歌集の主軸だけれど,現代に生きるひとなら誰しも感じたことのある苦痛や寂しさをこの歌集は救ってくれる.一緒に歩いてくれる.そんな気がする.

なべとさんのブログ「なべとびすこのなすべきこと」はこちら

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